Vol.1にて、仙台市にある男根像と生殖器崇拝について取り上げました。その記事を読んで下さった方々が、次々と男根像の発見報告を送ってくださっています。
実は結構身近にある生殖器崇拝、ぜひ身の回りの祠を覗いて見て欲しい!ということで、記事の元ネタとなった本を紹介いたします。


『昏れ(たそがれ)の神々 ―みやぎの道祖神―』庄司豪

本書は著者の庄司さんが、宮城県内の約200ヶ所にのぼる男根崇拝の現場を訪ね歩いたという、決定版的なガイドブックです。しかし、そもそも何故庄司さんがこんなにも男根崇拝に惹かれるのか、その原体験は庄司さんが高校生のときに初めて見た男根像だったといいます。

お堂の床下の空間は高さがざっと五尺。地面から直立するソレは、床板を下から突き破らんばかりにそそり立っている。このような異様のものを初めて目にした私は、ただただ仰天し畏れ入るばかりだった。
「よく見なさい。へこんだところがある」
父は言った。なるほど、ところどころにおとなのこぶしが埋まるぐらいのくぼみがある。自然にできたのではなさそうだ。削り取ったか、掻き出したかした跡のように見える。父は話を継いだ。
― このくぼみは、子宝に恵まれない嫁がほじくった跡なのだ。一人が一度に削り出す量は知れたものだが、長い間に五十人百人を数え、くぼみは広く深くなった。掻き出した石ころは家人に見付からないように持ち帰り、人知れず神棚や仏壇に納めて祈った。あるいは砂粒よりも微細にくだいて飲み下した。そうすることで子が授かると信じた。「嫁いで三年生まず去る」と言った時代、子ができないのは女の側に責任ありと一方的に決めつけられたから、母となりたい一心は石造男根を穿つという行為に嫁を走らせた。今の人は、何という無知と笑うかも知れないが、その時代には、それこそすがる思いで削り、砕き、飲み下し、祈るしかなかったのだ。このくぼみこそ、子を生みたいと願う女性の執念そのものと言えはしないか ―
父の話を聞きながら、私は薄暗がりの中、人目をしのびつつ、異形の石神にたがねを当て槌を振るう女の鬼気迫る姿を思い浮かべていた。お堂の回りの樹木の枝が秋の夕風にざわざわと音を立てていた。

本書は堅い研究書ではありません。東北学院大で教鞭を執り、現在はみちのく民俗文化研究所代表の岩崎真幸さんが序文に書いているように、“道祖神と庄司さんの逢い引きの日記”です。
かつて、健康も豊穣も子宝も、全ての願いは神々に託すしかありませんでした。その時代の人たちの気持ちに自らも思いを重ね、異形の男根をやさしく見つめる庄司さんの視線を通して、男根崇拝に親しむことができる素晴らしい一冊です。ぜひこの本に紹介されている男根さまに会いに行ってみてください。

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相沢 由介

1980年生まれ。 インフォーカスの取材・編集・発行を全て一人で行っています。その他、フリーのカメラマン・ライターとして、紙媒体の企画や取材、企業や個人事業の広報物・WEBサイト等の作成を行っています。

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