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かつて庶民の暮らしの中に息づいていた神々の多くは合理的・理知的な現代生活の外に追いやられ居場所を失いつつある。
神々の黄昏の姿を起点に、時代の移り変わりを辿る。

写真=相沢由介

《住環境の変化で居場所を失っても・・・》
電気のなかった時代、火や灯りは家族が寄り集まるところであり、まさしく火は家の象徴だった。昔の風習に、婚礼の当日、嫁が婚家先に入家するときに台所の入り口から入り、まず第一にカマドの火の神を拝むというものがある。また、分家をする場合には今日でも「かまどを建てる」、「かまどを持つ」などと言う。火を取り扱う場所としての「かまど」は家そのものを指す言葉でもあったのだ。
こうしたかまどを信仰の対象とする例は古くから全国的にみられるが、宮城県から岩手県南部にかけての地域では、特に土間のかまど近くの柱や壁に土あるいは木の面を祀る風習があった。この面は一般に「カマガミサマ」と呼ばれていた。
現在電気の普及とともにかまどのある家はほとんどなくなり釜神も居場所を失ったが、松島で釜神を彫る工房を持つ沼倉節夫さんは、現代の社会において釜神はより柔軟に受け入れられるようになったと話す。
「ウチで釜神さまを求めていく人だと玄関とか居間に飾ることが多いね。あとは居酒屋とかラーメン屋とか。商売繁盛のご利益まで雪だるま式に担っている。でも、それぞれの人が自由に願いを託していいんじゃないかって気がしますね」
消えつつある神々がいる一方で、釜神は形を変えていまだ人の暮らしの側にいる。
※この続きは、IN FOCUS Vol.1でどうぞ。

《編者から》
山や海といった自然の中に、人々の暮らしの中に、古来より日本人は身の回りのあらゆるところに神が宿ると考えてきました。
これら八百万の神々は石油製品とコンクリートに囲まれた合理的・理知的な現代生活の中で次々と居場所を失っています。神々の姿は自然への畏敬や人知を超えたものに対する想像力の具現です。私たちの身の回りから神々が消えたということは、自然を恐れ敬う気持ちの喪失であり、ありえない“何か”を空想するロマンチシズムの喪失でもあります。
また、地域の自然と暮らしに密接に結びつていた神々が居なくなってしまったことは、近代的な開発によって日本全国各地が均質化し、地域の特徴が失われたということでもあると思います。
忘れられつつある神々の姿を見つめなおすことで時代の移り変わりを辿るとともに、時代を経ても変わらない私たちの原点を探ります。

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相沢 由介

1980年生まれ。 インフォーカスの取材・編集・発行を全て一人で行っています。その他、フリーのカメラマン・ライターとして、紙媒体の企画や取材、企業や個人事業の広報物・WEBサイト等の作成を行っています。

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